青岳尼の恋(『天狗童子』ーネタバレあります)
九郎丸と茶阿弥はなにせ天狗ですからこれはまるでファンタジーで、佐藤さんの空想の産物だろうと思ってしまいますが、もしかしたらモデルがあったのかもしれません。この時代の鎌倉に太平寺という尼寺があったそうで、ウィキペディアのその項目には、こんな記事が見られます。
「『新編相模国風土記稿』によると足利持氏の娘昌泰道安、足利成氏の娘昌全義天、足利義明の娘青岳尼などが住職を務めた。/
1556年(弘治元年)、安房の里見義弘が鎌倉を攻めた際、太平寺も攻撃を受け、青岳尼と本尊の木造聖観音菩薩立像が奪われた。青岳尼は後に還俗し里見義弘の正室となった。/
この後、太平寺は廃寺となる。青岳尼が安房へ移った事を北条氏康が「不快なるお企て」と批判的にかいた文書が残っている事から、青岳尼については奪われたのではなく、義弘と恋仲で自ら出奔したとの説もある。」
ある書物にはこう書かれています。(小和田哲男監修『もっと知りたい神奈川県の歴史』洋泉社刊)
足利義昭というのは「三代・古河公方の足利政氏の子」「小弓公方と呼ばれ、復権を画策していた」が「国府台合戦であえなく討ち死にした」「青岳尼はその遺児である」「安房国(千葉県南部)などの戦国大名・里見義堯の庇護を受け、のちに出家して鎌倉の太平寺に入寺した」
「弘治二年(一五五六)、里見義弘(義堯の子息)は後北条氏の支配領域である鎌倉を攻撃した」「義弘は太平寺を訪れると、自分の妻になるように説得した」「もともと義弘は、青岳尼のことを知っていた。幼なじみだったのである」「説得に応じた青岳尼は、還俗して義弘ととともに上総国佐貫城(千葉県富津市)に向かった。そして、青岳尼は義弘の正室となったのである。このとき、義弘は三十一歳で、青岳尼は二十二、三歳くらいであったと考えられている」
似てますよね、九郎丸と茶阿弥の恋に。足利のお姫様が鎌倉の尼寺から東京湾(江戸湾)を渡って、房総で武家となった幼馴染と結ばれるのです。
物語で九郎丸は三浦氏の高教の子ですが、三浦氏が伊勢の後北条氏に破れたあと、安房国を治める里見氏配下の武将・正木高暁となって、「およそ十年後」の鎌倉襲撃の際に「愛堂尼という若い尼どの」を連れ帰った。愛堂尼は茶阿弥です。その茶阿弥は堀越公方足利茶々丸の娘でした。
一方、史実の青岳尼は古河公方系列の小弓公方、足利義明の娘です。古河公方は、茶阿弥の父である茶々丸が継ごうとした堀越公方と同じく(対立していましたが)、室町幕府の重職である鎌倉公方の後身のひとつで、その遺した姫様が青岳尼です。青岳尼については室町時代らしく諸説あってその人生を描きづらいのですが、ウィキで調べるとこんな風に書かれていました。
「里見義弘は彼女に恋焦がれる余り、太平寺にいた青岳尼を訪れて還俗して自分の妻になるように勧める。彼女もこれに応じて江戸湾を渡り、義弘の居城のあった上総国佐貫城に入って間もなくその正室となった」「その後の詳細は不明である。法号は智光院殿洪嶽梵長大姉。伝承によれば病弱であり永禄年間の早い段階に病死した」
たぶん、佐藤さんは青岳尼の人生を偲んで、この作品『本朝奇談天狗童子』を書いたのではないでしょうか。横須賀生まれ横浜住まいの佐藤さんにとって鎌倉は身近な場所ですから、きっと太平寺の歴史もご存じだったのでしょう。
義弘と青岳尼が幼なじみだったというのは、徳川家康がじつは織田信長と幼なじみだったという否定しきれない物語を思い返せば想像しやすい。家康や青学尼のように親を亡くして他家で暮らす若者にも青春はあるんです、すくなくとも日本の歴史では。
でも、ざっと調べた程度では、この青岳尼の人生はよく分かりません。もっと知りたくなりますね。中央政府が弱体化して地方の権力が政略戦略で血みどろの戦いを繰り広げている中で、親を、家を、失ったお姫様です。どんな思いで毎日を暮らしていたんでしょうか。(20260223修正)
『ふしぎなあの子』紹介
これも全集に入っていなくて見逃していた作品です。93年、佐藤さん65歳のときの長編。
「海辺の町から山の近くの町へ」引越ししたあいちゃんが、年長組に転入した幼稚園で経験する4月から3月までの1年間を、季節の移り変わりや幼稚園の催しを含めて辿っていきます。
佐藤さんも小学生のときに横須賀の逸見という海辺の町から横浜(当時は鎌倉)の戸塚へ引越しをしています。戸塚は山の近く、というより起伏の多い丘の上の町ですけど、あいちゃんの家も丘の上にあるとなっているので、この設定にはご本人の思い出が反映しているようですね。いまは住宅地の広がる戸塚も当時はまだ、おそらく樹木の生い茂った山らしい景色が多かったでしょうし。
引越ししてすぐ、新しい幼稚園の制服を試していたときに、あいちゃんは窓の外、ガラス越しの庭に狸を見つけ、そしてひとりの男の子と知り合います。狸と男の子が、1年間の物語の縦糸になります。この子はいったい誰なんでしょうか。
翌年の春に、裏山を削って団地を造るという工事が始まり、あいちゃんに狸や男の子との別れが訪れます。
幼稚園児のあいちゃんの暮らしを描きながら、物語は開発と土地の変化が主題
になります。『コロボックル物語』、ことに第4巻の『ふしぎな目をした男の子』でも扱われた主題。短編の『この先ゆきどまり』でも印象的に描かれた主題ですね。たぶん生まれて初めて味わう喪失の切なさを噛みしめるあいちゃんを通して、きっと読者も自分の喪失した何かを思い出すでしょう。
小さな子供でも読めるように、本編の表記はかながき・分かち書きが多用されていて、ページを開くと大人にはちょっととっつきにくい見た目ですが、慣れれば大丈夫、たくさん入っている岡本順さんの挿絵もかわいいし。(この記事での引用は文字遣いを改めてあります。)
幼稚園に通うお子さんをお持ちの方は、ぜひ読み聞かせをしてあげてほしいですね。聞いた子どもは、きっとわくわくして幼稚園を、そして世界を、好きになってくれるのじゃないでしょうか。
あとがきで佐藤さんは、小学生の男の子とご自分との会話を紹介しています。
男の子が佐藤さんに話します。「ぼくがむかし、幼稚園にいっていたときはね、このへんはまだ空地ばっかりだったよ」佐藤さんの返事は、「その空地ができる前は、このあたりに雑木林の丘がうねっていて、丘のあいだの谷間には田んぼや畑があって、ちょうどこのへんにはきれいな小川が流れていたっけ」
佐藤さんは、戦前の小学生時代から亡くなるときまで戸塚にお住まいでしたから、この地域が里山(*1)から巨大な住宅地に変わっていく様子をずっと見ていたんですね。
*1横浜市戸塚区の舞岡公園に行くと、その里山風景を見ることが出来ます。
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