佐藤さんちのふしぎ

童話作家・佐藤さとる と作品たち

ゴシップあれこれ(『ジュンと秘密の友だち』)

 『ジュンと秘密の友だち』というこの作品は、昭和という時代を生きた一人の男性としての佐藤さとるさんの、心のあり方を理解する上で、鍵になる作品かもしれません。
 でもまずはゴシップから。

講談社岩波書店

 この作品は、ほんらい『豆つぶほどの小さないぬ』を自社から出版するつもりだった岩波書店に、代わりに提供された作品だそうです。

 前作の『星からおちた小さな人』で、「コロボックル物語全3巻」は完結していました。実際に、版元の講談社も全3巻完結、として販売していたのを自分も憶えています。そんなころに岩波書店が日本の作家の創作シリーズを企画して、佐藤さんに「小人のはなしを書いてみないか」と持ちかけた。佐藤さんは新しいテーマ、新しい舞台でコロボックルの話を書く気持ちになって、依頼を引き受けて書き始め、ほぼできあがったのが『豆つぶほどの小さないぬ』。その原稿は岩波書店の原稿用紙に書かれているそうです。でも、そこで講談社からクレームが付いた。それは困る、と。*1
 当時、あるいは今でも、作家と出版社とのあいだの契約なんて、言葉にせずにあうんの呼吸で成り立っているような日本社会ですから、どっちが正しいというわけでもないのでしょう。結果として、ほぼできあがっていた『豆つぶほどの小さないぬ』は講談社から出版されることになり、岩波書店には佐藤さんがべつの長編を書いて渡すことになった。

 それがこの『ジュンと秘密の友だち』です。でも大急ぎで書き飛ばしたというのではなくて、岩波書店側の都合で、時間的な余裕はあったらしい。良かった! 出版社の争いのおかげで、私たちはまた新しい物語の世界を得ることが出来たわけです。
*1神宮輝夫『現代児童文学作家対談1』p.37

横須賀と横浜

 佐藤さんは作品の舞台として横須賀の、ご自分が生まれ育った逸見の谷戸の風景を思って書くことが多いとおっしゃっていて、実際、『井戸のある谷間』『だれも知らない小さな国』をはじめとする多くの作品の舞台は、そうだと思って読めばしっくりくる描き方になっています。
 この作品も、急な坂道や、崖の途中に建つ家々ということだけ見れば同じなのですが、ずうっと読んでいると、いやたぶんここは横須賀じゃない、という気がしてきます。

 なだらかに続く丘と谷。丘から見える向こうの丘は、そんなに近くはないらしい。下り坂と上り坂が大きく延びていって、その周りをうめる住宅と町と町。丘の上に立てば青い空が広い。これはたぶん横浜ですね。佐藤さんが小学生の頃に横須賀から引っ越していって、逝去まで住み続けた戸塚の風景に違いない。横須賀の、細かく切れ込む谷間に道を通して、両脇の崖を削って危なっかしく家を載せて、あいだを階段でつないで、いつか山の向こうまでそんな町並みが続いてしまった、という『井戸のある谷間』に出てくるような風景とは違うんです。

 文献的な根拠はないのですが、両方に行ってみれば、たぶん誰でもそう感じるだろうと思いますよ。

 (ごめんなさい、「急な坂道」とか「ここは横須賀」とか書いたら、山口百恵さんの『横須賀ストーリー』を思い出してしまいました、引用したわけではないんですけどね。アタマの中で「これっきり、これっきり、もう」と百恵さんが歌ってます。せつない。百恵さんの出身地でもある横須賀には、歌にちなんだ「これっきり坂」というのもありまして。いやはや、なかなか。近隣住民以外には、横須賀も横浜もつまり神奈川なんだろ、でどうでもいいと言われそうですけど。)

これっきり坂

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