佐藤さんちのふしぎ

童話作家・佐藤さとる と作品たち

『だれも知らない小さな国』について(3)道路が山をつぶす

物語の舞台

 現行の講談社版の刊本では、この作品の舞台、つまりコロボックルの住む「小山」がどこにあるかは書かれていません。「はじめに」で「日本のすぐとなり」と言及されているだけです。
 けれどタイプ印刷で刊行された私家版の「はじめに」では、「東京から電車に乗って一時間たらずで行けるところ」ともうすこし具体的に言われています。

 佐藤さんは続いて「ほんとだからこそ、その国のくわしい所番地--おかしな言い方だが--などは、いっさい伏せておかなければならない」と書いていますが、東京から電車で一時間と言えば、つまり横須賀なんですよね。
 佐藤さんの生まれ育った、そしてご自分の多くの作品の舞台として思い描かれているのはここだとも言う、横須賀市逸見町(現西逸見町)は、東京からちょうどそのくらいの場所になります。佐藤さんはこの町で昭和三年(1928)に生まれ十歳まで過ごしました。
 行ってみるとわかりますが、横須賀駅周辺から西逸見町、そして谷伝いに山の奥へ入り込んでいく地形、町並みは、物語に描かれているとおりのものです。

 引っ越した佐藤さんが次に住んだのは当時の鎌倉郡戸塚町、現在の横浜市戸塚区です。物語の中でも主人公は小学生のうちに引っ越すことなり、行先は「電車で四十分くらいはなれた大きな町」でした。逸見町から戸塚までもだいたいそのくらいですね。

道路が山をつぶす

 この物語の後半は、大切な小山をつぶして自動車道路を建設しようとする国の計画から小山を守ろうとする、コロボックルたちやせいたかさんの抵抗の記録が中心になります。その戦い方もコロボックルならではのユニークな、でも魔法でもなんでもない戦術で、具体的に語られるその戦術は成功するのも納得できてしまうリアルなものです。

物語の時代

 これも行ってみるとわかるのですが、この町の裏山、安針塚(江戸初期に幕臣となった英国人三浦按針の墓)のある塚山公園の真下に、自動車専用道路のトンネルが通っています。横浜横須賀道路から横須賀中心市街に出るバイパスの本町山中線です。
 あれ、この物語に出てくる自動車専用道路ってこれのこと? そしてコロボックルたちの抵抗の結果、地上じゃなくてトンネルで通ることになったとか? じゃあやっぱりここにはコロボックルたちが住んでいるんだ!
 でも残念ながら、本町山中線が開通したのは平成四年(1992)で、いくらなんでもこの作品とは時期が違う。横浜横須賀道路本線の工事も昭和四十年代後半ですから話が合わない。

 種明かしをすると、佐藤さんは敗戦後の若く貧しい時代に、新しい道路をつくる工事でアルバイトをした経験があるんですね。疎開先の北海道から横浜に戻って、佐藤さんは関東学院工業専門学校(現関東学院大学)の建築科の学生になっていましたから、その縁で、道路工事の測量助手のアルバイトの口が回ってきたのです。

 場所は戸塚、日本で最初の自動車専用道路を作る工事の下準備でした。戦後のワンマン宰相、吉田茂が、大磯の自宅と東京との行き来で、戸塚にある開かずの踏切に引っ掛かるのが我慢ならず、新しい道路の敷設を命令したのだとかで、ワンマン道路と呼ばれて有名だった戸塚道路です。それが作中のこの出来事の発想につながっているんだと思います。*1

*1『オウリーと呼ばれたころー終戦を挟んだ自伝物語ー』2014 p.242

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