佐藤さんちのふしぎ

童話作家・佐藤さとる と作品たち

『だれも知らない小さな国』について(2)三つの初恋

 前の記事でも触れましたが、この作品にはふたつの物語があって、ひとつは小人たちとの出会いと再会、そしてもうひとつが自分にとってとくべつなひとになる女の子との出会いと再会です。
 最初にこれを読んだときには、なにしろ子どもですから、女の子との再会はよくできた偶然、くらいにしか思わずに読み過ごしてしまったように思います。でも何度も読み返し、また自分が成長するにつれて、あれ、むしろそちらの出会いの方が重要だったりして、と思えてきます。

 そして、じつは佐藤さんには31歳でデビューする前、20代のときに、出会いを描いた作品が3つもあり、それらが『だれも知らない小さな国』の原型なんだと知りました。
 そしてさらにさらに、同じ時期に、佐藤さんには奥さんとの出会いがある! (それについてはあとでご紹介しますね。)

 この作品に限らず、またコロボックル物語に限らず、佐藤さんの作品にはたいてい男の子と女の子の出会いのエピソードが描き込まれています。童話なのに、なにかちょっとつやっぽい。さくら色のそよかぜを頬に感じるようなおもむきがありますよね。

 

『井戸のある谷間』

 『だれも知らない小さな国』が発表される9年前、佐藤さんがまだ22歳のときに、同人誌「豆の木」にこの掌編は発表されました。コロボックルとはなにも関係のないストーリーですが、コロボックル物語の要になる部分の先行形のひとつです。

 はなしはとても簡単で、町が谷にはいりこんだゆきづまりの斜面に、山から若者が下りてくる。赤い屋根の小さな家に飲み水を求めて声をかけると、娘さんが小川のむこうの井戸に案内してくれる。のどを潤した若者が、膝をついて井戸の水面と家の屋根の高さを比べ、井戸から家までサイフォン式に鉛管だけで水道が引けると娘さんに話す。それだけの内容だけれど、最後は立ち去る青年の晴れやかな思いで締めくくられる。「あの谷間は、なんてすばらしいんだろう。井戸もすてきだった。井戸へいく橋も、途中の柿の木の下も、それから、あの大きなみかんの木も、赤い屋根も、それに……」「ぼくは、さっそく、鉛管を手に入れよう」「いつかまた、ぼくはどうしても、ここへやって来なくてはならない」恋におちた青年の弾む心が伝わってきます。

 純粋に、ひとつの出会いを描いただけの掌編ですが、娘さんとの出会いに、その場所との出会いが重ねて語られます。そう言えば、『だれも知らない小さな国』での出会いも、小山の三角平地という場所との出会い、見知らぬ少女との出会い、コロボックルとの出会いが三重になっていて、主人公はその三つを三つとも大切にして心のなかで温めながら大人になった(少女のことは途中では話に出てこないけれども)。つまりこの三つは、分離できないひとつのもので、それが何であるかは言葉で名指しできないけれど、その何かを大切にしたいという思いこそ、佐藤さんが物語に造形したかったそのことなのでしょう。

 『コロボックルに出会うまで』で佐藤さんは、『井戸のある谷間』について、自分には「新しい方向を示す、指標のような役をした」*1と書いています。指標の役というのは直接には、この作中の二人の子ども時代を書きたいということ、すこし前から書き続けている草稿『てのひら島の物語』の子ども二人が、まさにその子ども時代になりうる、ということ、そしてそれがのちに『だれも知らない小さな国』として結実した、ということを言っているようでもあります。

 けれどもう少し踏み込んでみると、この作品のリアリズム、作品の世界を眼に見え手に触れられるような形で描き出す手法と、ふたりの出会いというモチーフの確立が、『だれも知らない小さな国』だけでなく、その後に続く佐藤さんの創作活動全体を導く原動力になったように思えます。なにしろ、子どもの読む童話なのに、必ずと言っていいほど男の子と女の子の出会いのあるのが、佐藤さとるさんの作品ですから。

 ちなみに、佐藤さんがこの作品を書いたのは奥さんと出逢うより前か後か? 奥さんと出逢ったのは1950年、22歳の年の4月の新学期、作品の発表も同じ月ですから、書いたのは奥さんに出会う直前ということになりそうです。

*1 『コロボックルに出会うまで』2016 p.182

 

『名なしの童子

 三年後、愛子夫人との結婚の翌年、佐藤さんは『名なしの童子』というふしぎな作品を、同じ同人誌「豆の木」に載せます。

 いつも頭のなかに霞が広がっているような気がしてぼんやりしがちな太郎は、一方でその霞を自分の宝のようにも感じていた。霞がひとところに固まって自分を導いてくれる経験をした太郎は、その霞を自力でひとつにまとめることに挑戦し、そしてある日、月光のなかに、童子の引く馬に乗る美しい女のひとの姿を見る。太郎は山の工事現場への配転を希望し、雨の現場でジープを運転しているときに、そのとおりの少年と馬と女のひとの姿に出会った。「太郎の心の奥に、長いことしまいこまれていたのは、まさしくこの人にちがいなかった」

 小説とか物語として考えると、いくらなんでもこれだけじゃあ、と言いたくなります。短編とは言え、『井戸のある谷間』と比べると長さもありますから。でも結局、これもひとつの出会いを描いています。いや、その出会いに意味づけをしてくれています。と言っても、運命のひとというだけではまだ足りない誰か、というくらいしかわかりませんが。
 新婚二年目に夫君がこんな作品を発表してくれたら、奥さんは幸せですよね。まるごとラブレターですよ。

 この作品は『井戸のある谷間』やこれから紹介する『てのひら島』とは違って、『だれも知らない小さな国』のストーリーには直接つながっていませんが、出会いというモチーフと書かれた時期が共通していますので、ぼくはこれを含めた三作品が『だれも知らない小さな国』を用意したのだと思っています。

 

 

『てのひら島はどこにある』

 一年生の太郎はいたずらでお姉さんたちをいつも怒らせます。太郎のいたずらがひどくならないように、お母さんがお話をしてくれました。子どもたちにとりつく虫の神様、いたずら虫のクルクルと、泣虫のアンアンとシクシクのお話です。太郎とお姉さんたちはそのお話をお母さんからもらって、それぞれ続きのお話を作ります。

 三年生になった太郎は、夏休みのある朝、おいしい木いちごを捜して遠くの知らない畑まで行ってしまい、もと船乗りのおじいさんとその孫むすめ、怒りんぼの女の子と知り合います。そこで一日過ごして女の子に怒り虫のプンをあげた太郎は、バスに乗せてもらって家に帰りますが、そのあとはもう、その子の家を見つけることが出来なくなってしまいました。

 それから時が流れ、片方のお姉さんが亡くなったり、おとうさんが戦争に行って帰って来なかったりして、また暑い夏のある日、ひとりの若者が山の細道から町のはずれにひょっこり出てきました。若者は井戸の水音を聞いて、水汲みをしている娘さんに声を掛けて水を飲ませてもらいます。

 そう、あとのはなしは『井戸のある谷間』とだいたい同じように進みます。太郎の出会った娘さんに、むかしの怒りんぼの面影があることを除けば。そしてすべてをまとめる結末の一節を除けば。
 これも結局、ラブレターなんです。

 コロボックル物語に取り掛かる前、アマチュア童話作家の佐藤さんは、本筋の物語のなかに、非現実の魔性のもののお話が話中話として入る構想で、『てのひら島の物語』という習作に取り組んでいました。『コロボックルに出会うまで』によれば、のちの奥様から怒り虫という言葉を聞き、妖精や小鬼より日本の現実に馴染みやすいものとして、虫の神様が登場したらしい。そして習作はいちおう完成しましたが、佐藤さんはこれに満足しなかった。

 佐藤さんはこの完成ののち、物語のなかのお話でふしぎなものを語るのではなく、物語の世界の現実にふしぎなものを登場させる物語を書こうと考えた。時を経てそれが、『だれも知らない小さな国』として実を結びます。
 木いちごがもちの木になり、怒り虫がコロボックルになり、井戸での再会が小山、いや小川での再会になる。『てのひら島はどこにある』は『だれも知らない小さな国』の双子の作品だと、こうしてみるとよく分かりますよね。コロボックルの大きさが、小人にしてもちいさすぎる身長3センチほどというのも、イメージのもとが虫の神様、つまりは蜂やバッタといった昆虫だからです。

 そしてさらに、再会、あるいは出会いの物語が、どれほど佐藤さんの心のなかの世界で重要だったのか。それもよく分かるのじゃないでしょうか。

 この『てのひら島の物語』はのちに異稿を集約して仕上げられ、『てのひら島はどこにある』として昭和40年に出版されました。それがいま私たちの手に取るバージョンですが、『コロボックルに出会うまで』を開けば、初期の異稿の断片も読むことが出来ます。

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