あたらしいコロボックルたちとあたらしい人々
1971年刊行のこの第四巻に、せいたかさん一家は登場しません。コロボックルも、おなじみの顔は、世話役のヒイラギノヒコのほかには、クリノヒコ=風の子の仲間のふたり、今はクマンバチ隊隊長のスギノヒコ=フエフキと、医者になったカエデノヒコ=ハカセがちょっと出てくるくらいです。あとは人びともコロボックルも新しく紹介された顔ぶれで、ちがう町を舞台にあらたな物語が紡がれます。(フエフキは第三巻でのマメイヌ隊隊長から、総司令官のようなクマンバチ隊隊長に昇格してますね。)
じつはコロボックル・シリーズは第3巻でいちど完結していました。「一応の完結編」として第3巻を書きあげた佐藤さんは、その後、人間とコロボックルの新しいコンビを描く短篇をいくつか書いていました。そのうちのひとつ、『百万人にひとり』が長篇に育ってしまって、この作品になったので、舞台や役者がすこしちがう世界になったのです。第3巻までは3年に1冊のペースで発表されていたのが、この巻はあいだを置いて6年目に発表されました。
歴史と環境
佐藤さんは作品のテーマだとか主張だとかという話をしたがらない作家ですが、それでもこの第4巻には、たいていの人が関心を持つだろう大きな話題がふたつ、出てきます。歴史と環境です。
ツムジのじいさまはつまりコロボックルのなかの歴史学者で、古い文書や伝承を通じてコロボックルの歴史を研究しています。(その学問の一端は、第六巻の『小さな人のむかしの話』で読むことが出来ます。物語最後の短編『ぶどう畑の謎』も、ツムジのじいさまの弟子が書いた本でした。)
物語のなかでは、人間の側の伝承も語られます。さきだつ第二巻では、せいたかさんを介して両方の伝承を突き合わせることが、マメイヌの発見につながりました。
この巻でも、両方の伝承から、この町にある大きな池、桜谷用水池のできた150年ほど昔の、江戸時代の歴史がひもとかれます。この池はコロボックルの仕事と、人間の仕事がひとつになって生まれた奇跡の池なのです。どんなものにも歴史があり、そうなっているものがそうなったのにはそれだけのわけがあって、それに関わった人々の思いがあるのです。知らなければ何も感じませんが、知っていれば、そのことの存在が心を満たします。
その桜谷用水池が、いまは汚れて、だめになろうとしています。このままでは土で埋められて消えてしまうかもしれません。
用水池のほとりでタケルが知り合った年上の男の子、柿村鉄工所のヒロシさんは、汚れていく用水地を見かねて、数年後、中学生になったころに、その生態系をそっくり大きな水槽に移し入れました。用水池の藻や水草やプランクトン、それに10匹ほどのクチボソが、池の水と一緒に入れられて、外からの助けなしに水槽の中で循環して生き続けています。「だから、桜谷用水池はこのガラスの中でずっと生きていくんだ。もとの用水池が死んじまってもな。」
ビオトープ、それももとの生態系をそのまま移植してアクアリウムとして水槽の中に再現したビオトープという存在は、とても刺激的で、考えさせられます。環境破壊を声高に責めたてたりしなくても、この概念が子どもたちの心のなかに残るだけで、とても大きな意味があるでしょう。