佐藤さんちのふしぎ

童話作家・佐藤さとる と作品たち

村上勉『コロボックルの小さな画集』紹介

 佐藤さんと言えば、とくにコロボックルと言えば、絵は村上勉さん。もう切っても切れない結びつきです。
 でも、最初からではなかったんですね。

 タイプ印刷の私家版が出てすぐに講談社から刊行された『だれも知らない小さな国』には、若菜珪さんという画家が挿絵を描いていました。村上さんの表現では当時「今をときめく童画界きっての売れっ子」だったそうで、第2巻も若菜さんが挿絵を担当しています。
 でもこれは佐藤さんを満足させるものではなかったらしい。ことに第1巻と第2巻で挿絵の画風ががらりと変わってしまっているので、佐藤さんも困ったんでしょうね。(佐藤さんはどこかで、画風が変わってしまったことに触れていました。*追記)
 村上さんは、まだ18歳のときに(19歳説*1もあり)佐藤さんに声をかけられて試作の挿絵を見せたそうです。そして1965年の第3巻『星からおちた小さな人』から挿絵を担当し、1969年に第1巻から第3巻までが改版された機会にすべての挿絵を書き直して、それ以降の佐藤さんのほとんどの作品の挿絵を描いてきました。
 その村上さんが、50年に及ぶコロボックルとの付き合いを振り返りながら、むかし描いた場面を描きなおし、新しい場面を構成して、たくさんのコロボックルがさまざまに活動する姿を見せてくれます。
 ご本人が説明してくれるとおり、むかしの絵とはすこし味わいが変わっています。丸ペンを面相筆に、インクをイギリス製の水彩絵の具に替えて、やっとご自分で納得できるコロボックル、日本のフェアリーになったそうです。
 全体に柔らかな絵になつていますよね。ちなみに絵の具はペインズグレーにグリーンとジョンブリアンを混ぜて水で薄めるそうで、むりに言葉で言えば、あわくやさしいあおみどり、かな。

*追記: 若菜さんの挿絵で飾られた第1巻について佐藤さんは、神宮輝生さんとの対談で「僕もあれは好きだったんですよ」と言っています。ただそれに続いて、第2巻で変わった画風が、ファンタジーには向かないものだったと話しています。そのうえ若菜さんご自身からも、「とても描きにくい」と、担当を離れる意思表示があったらしい。(神宮輝夫『現代児童文学作家対談1』より。本文中の文言もすこし改めました。)

*1 佐藤さとる監修『コロボックルの世界へ』p.122

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